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  • 2014.01.14 Tuesday

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    くるり / glory days

    • 2012.09.06 Thursday
    • 10:33


    いや〜、くるり。
    どうしちゃったんでしょう、くるり。やばいっす、くるり。

    こ・れ・は、まぎれもない名曲。きらきらと光り輝く水面は、雄大で綺麗で。ただ身を任せる時代は過ぎ去ってしまって。大きな悲しみとやるせなさの中にある思い出と希望。うまくまとめることはできないけれども、というかできないからこそ、音楽の持つちからというものを信じることができる気がします。誰かがコメント欄に書いてましたが、「今、この時代のアンセム」と言っても過言ではないと思う。泣いてもいいですか。


    先駆けてリリースされた「everybody feels the same」は、90年代のUKロックが持っていたきらきらの高揚感を思い起こさせるような、とても小気味の良いロックンロールでした(感想)。実際ぼくはこの楽曲を聴いた後に、90年代当時のブリットポップを聴き返したりしています。新しいメンバーが加入した新生くるりには、今までにない色気があると感じたぼくはニューアルバムも楽しみにしておりました。

    というわけで冒頭のPVは、9月19日発売のアルバム『坩堝の電圧(るつぼのぼるつ)』からのリードトラック「glory days」。ストーン・ローゼズを彷彿とさせるドラムのイントロに胸を熱くするなというほうが無理な世代としては、もうこのままただ音像に浸っていたい気分になるところですが、そうもいかない。福島県いわき市・薄磯海岸で撮影されたというPVの映像や、「東電」とか「福島の友だち」といった歌詞を聞くと、胸の辺りがざわざわとするのをどうしたって禁じ得ません。きれいな海の映像を見て、ただ純粋にきれいだと感動するようなことは、ぼくはもうできなくなってしまいました。それはとても悲しいことのように思えます。

    震災から1年半が経ちましたが、ぼくたちはいまだ大きな悲しみの中にいると思います。そして、それはこれからもずっと続くのだと思います。ぼくたちは、悲しみを携えて生きなければならなくなった。それは悲しいことでしょうか。

    まるで原発事故が無かったかのようにふるまう人たちもいます。マスメディアは放射能のことなどもう忘れてしまったかのようです。故郷を失った人たちへ思いを馳せることも、ずいぶんと減りました。それは悲しいことでしょうか。

    嫌なことは忘れて、アッパーなテンションで楽しむこともできるかもしれません。いくら悲しみの中にいるといっても、アゲアゲな気分で馬鹿騒ぎすることも時にはいいでしょう。ただ、それはあくまでも享楽的であって、その先にglory daysが待っているとは思えなくなりました。

    かつて、ぼくらが思い描いていたglory daysとは、どのようなものだったのでしょうか。それは震災後のいまも有効でしょうか。きらきらと輝いて見えるでしょうか。震災によって可視化されたのは原発だけじゃなくて、これまで考えたこともなかったようなことが世界を作っているということが分かってきたし、いままでの価値観とかライフスタイルとかに寄って立つのは困難になりました。簡単に答えの出る問題ではないと思います。みんな悩んでいると思います。ぼくたちはいま移行期的混乱の中にあり、頭の中はごちゃごちゃでぐちゃぐちゃなんです。たぶんこれからも長いことごちゃごちゃでぐちゃぐちゃなままだと思います。ごちゃごちゃでぐちゃぐちゃなまま悩んでいくのだと思います。それは悲しいことでしょうか。

    「ばらの花」「東京」「ロックンロール」など過去の楽曲からの歌詞が引用されて迎えるクライマックスを聴いて、そんなことを感じました。


    くるり
    ビクターエンタテインメント
    発売日:2012-09-19



    彼らのように音楽(自分自身)と向き合っていくのならば、「それら」は決して悲しいことではないのかもしれないと思います。いや、悲しいけれども、悲しいだけではないというか。glory daysを信じるしかないし、歌うしかないのだから。

    、、、というような青臭いことを思ってしまうのは、この曲がまぎれもないロックンロールだからですね。ローゼズやオアシスに連なる青いヴァイブ。連帯へといざなうアンセム。Keep on movin'.

    ロックンロールは、別に俺たちを苦悩から解放してもくれないし、逃避させてもくれない。ただ、悩んだまま躍らせるんだ。
    by ピート・タウンゼント


    くるり / everybody feels the same

    • 2012.09.06 Thursday
    • 10:31


    きたきたきたきたきたよこれ。
    新メンバーが加入し4人編成となって初のリリースとなる新曲。めちゃかっこいい。
    このPVを見ていると、くるりにもいよいよ「色気」が加わったとわくわくしてきます。もちろん女性メンバーが加入したということもあるだろうけど、単にそれだけじゃなくて、こうして躍動するおっさんたちに大人の色気みたいなのを感じちゃうわけです。それが相乗効果ってやつなんだろうけど、なんて楽しそうなんだこいつらは、っていう。「色気」っていうか「色味」っていうか。生きるってこんなに色鮮やかなことなんだなあと嬉しくなる。

    個人的な好みの話になるけど、ぼくは『TEAM ROCK』〜『THE WORLD IS MINE』の頃のくるりが好きで、それはいまも変わってない。いまその頃の曲を聴くと、若さゆえの感受性がセンチメンタルなメロディに乗って押し寄せるノスタルジーにぐっと来ちゃう。「ワンダーフォーゲル」とか、いま聴いても胸キュンですよ。これって若いがゆえの同世代バンドへの共感であったし、郷愁だと思います。

    その後のくるりは、いい曲なんだけれども、どこか「枯れて」いるような感じがして、あまり聴き込むまでに至らないことが多くなりました。特にアルバム単位で聴けなくなったのが、自分にとってはどこか違和感があって、なんでなんだろうなあと思いつつ。


    で、この新曲。痺れるような疾走感には『TEAM ROCK』の頃のロックンロールを連想するけれども、やっぱりそれとも全然違う。なんたってもう若くないから。大人になってだいぶまるくなったわけすよ、彼らも、ぼくらも。余裕だって出てくるわけで、そういう懐の深さが最初に書いた大人の色気みたいなのにつながるのかもしれませんが、でもそれだけじゃない。
    ここでの躍動する彼らには、なんというか、湿り気がある。いや、湿っぽいというニュアンスじゃなくて、フレッシュという感じの。フレッシュなんだけど、若さゆえのフレッシュとはまた違う湿り気。なんだろうこれ。この自己肯定感と突きぬけ感はいままでのくるりには無かったと思う。てっきり枯れていくのかと思っていたら、思いきり色とりどりの「色味」を見せてくれたっていう。いや、衣装のことじゃなくて。


    以下、歌詞より。言っとくけど解釈はぜんぶ妄想です。

    お願いRadio From U.K. Oasis Blur Supergrass Happy Mondays
    胸は躍る 目には涙 夢は続く くり返す
    振り返ればお月様


    いいですね。90年代のUKロックが持っていたキラキラの高揚感を思い出します。怖いものなんてなくて(逆か?)、前方には楽しいことしか待ってないんだぜという根拠のない自信があったりして。そんなロック少年もいまでは、

    角栄が作った上越新幹線に乗って
    スピーディー(SPEEDI)なタイムマシンは新潟へ向かう
    2012年の冬 悲しみは吹雪の向こうから
    手をとる夜 灯をともす 風が動く
    未来まで溶けない雪の白さ 手を貸してみろよ


    おっさんじゃないですか。角栄とかSPEEDIとか視点がもうおっさんですよ。場末の居酒屋で酌を交わしながら、新聞を賑わす暗いニュースに眉をひそめるおっさんの姿が目に浮かびます。世の中のことがいろいろと分かってきて、シニカルにものごとを眺めたり、自分にはどうしようもできないことってのがあるという現実を知ったりして。愚痴を言ったり、せいぜい肩を寄せ合うくらいしかできないけれど。
    それでも、おっさんは歌います。踊ります。

    背中に虹を感じて 進め(走れ) 泳げ(もがけ) 進め 進め


    うう。
    人生の暗い面を知ったおっさんが、生きることの色鮮やかさを歌い、そして自らが色とりどりの虹となって踊る。もがく。これは同世代のおっさんにとっては、キますよ。

    というわけで、かつてサブカル系を行ったり来たりして、音楽がキラキラと輝いて見えていたオタクも、いまは2人の子を持つ36歳のおっさんになったわけですが、そんなぼくにとって、新生くるりのこの曲は、まるでむかしといまを繋ぐかのように、とても楽しくて、かなり泣ける4分間になりました。


    追記:
    後で知りましたが、今回の作詞は岸田繁じゃなくて、くるり名義なのだそうです。ああだからこんなに色とりどりで風通しがよくて「広がって」いるんだなあと、やけに感心しました、はい。


    新生くるりのニューシングル、8月1日リリースです。初回限定盤には、レコーディングドキュメンタリー及びライブ映像が収録されたDVDが付属するらしいです。


    くるり
    ビクターエンタテインメント
    発売日:2012-08-01



    さらに、ニュー・アルバムもリリース!
    「everybody feels the same」を含む全19曲を収録した、10thアルバムはこちら。


    くるり
    ビクターエンタテインメント
    発売日:2012-09-19



    BEADY EYE (オアシスのリアムによる新バンド)

    • 2011.03.10 Thursday
    • 18:16
    バンドというのはつくづく不思議なものであるんだなあと思います。
    ぼくはバンドをやったこともないし楽器も演奏できないので実際の現場はわからないのだけれども、カタチとして残されたいろいろなバンドの作品から、彼ら特有のマジックを感じる瞬間を共有することができます。元オアシスのリアム・ギャラガーによる新バンド『BEADY EYE(ビーディ・アイ)』は、意外にもそうしたマジックを色濃く感じさせてくれる瑞々しいバンドです。

    こちらがファースト・アルバム『Different Gear, Still Speeding』。
    ぼくの誕生日と同日に日本先行発売だったんですね(と、さりげなく誕生日をアピールしておいて)。いやあ、新譜への感度が低くなっているので、今日までぜんぜん知りませんでした(ちなみにニコニコニュースで彼らの存在を知りました)。

    B004GZJ8OYディファレント・ギア、スティル・スピーディング
    (初回生産限定盤)(DVD付)

    ビーディ・アイ
    ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル
    2011-02-23

    by G-Tools

    サイケデリックなジャケットのアートワークからも、60年代への憧憬をもろに感じさせるサウンドからも、目新しさはぜんぜん感じません。というよりも、あまりにも直球まるだしだったので、はじめに聴いたときは笑ってしまいました。リズム&ブルースを下敷きにした、古き良きロックンロール。2011年のいまとなっては、なんてことのないありふれた曲たちです。

    まあ、このPVをご覧ください。



    まんまビートルズじゃないですか。

    いやあ、でもこれでいいんですね。ぼくはこのPVを観てちょっとうるうるしちゃいました。ロックンロールが生まれて間もない頃、まだその「熱」に多くの若者が酔っていた頃、そこには確かにマジックが存在していたと思います。それは、皆が共有できるマジックであり、各自が自分を投影できる物語でもありました。ビートルズには、世界をひとつにする奇跡があったかもしれません。21世紀に入り、情報の多様化がいまも進行中である中で、ロックンロールに限らず、そのようなカリスマ的な存在が出現することはもう無いでしょう。それと同時に、音楽が持つマジックも消えてしまったのか。ぼくが数年前にロックを聴かなくなったのはなぜか。

    1991年に登場したオアシスは当時から、「おれたちはビートルズになりたいんだ」と公言していました。ビートルズへの愛と、憧憬を(もちろん音楽的にも)隠さずに掲げることで、彼らはまたたくまに国民的バンドになりました。もちろん楽曲も素晴らしかったし、キャラ的にも際立っていました。ブリット・ポップというブームの後押しもありましたね。しかしブリット・ポップのブームの中でも彼らの存在感は突出していたように思います。その要因は、ギャラガー兄弟の「我が道を行く」ぶりにあったのではないかと、いまになって思います。それが各地での暴言や破天荒なスキャンダルというかたちで表れることも多々ありましたが。

    「ビートルズになりたい」と公言することで、我が道をすすんでいた彼らですが、アルバムはデビュー作から大ヒット、続く2ndアルバムも大ヒットと、あっというまに商業的成功を収めてしまいました。ビッグマウスだけでなく、実際にビートルズと同じくらいにビッグになったとき、さて、彼らはどこにすすむのか、その道しるべを失ってしまったように見えました。「ビートルズになりたい」ってどういうことだったのか。「ビートルズになること」自体が目的化してしまったとき、彼らが持っていたマジックは消え、楽曲は奮わず、セールス的にも苦戦を強いるようになってゆきました。ああオアシスも終わってしまったか、ぼくもそう思いました。

    オアシスの後期作品群がオーバープロデュース気味になっていたことは事実です。ある意味で完璧主義者であったノエルの影響が大きかったのかもしれません。身体が感じた直感よりも、楽曲としての完成度をあたまで追求していった帰結なのかもしれません。「道」を追求するストイシズムは、彼らから開放感を奪いました。

    しかし2008年のアルバム『Dig Out Your Soul』では、「らしさ」の呪縛から吹っ切れたかのような音を聴かせてくれ、2009年3月にミュージックステーションに出演。その放映を観たときは、ああオアシスが帰ってきた、そう思った矢先の8月、ノエルが脱退を表明。えええ、けっきょくは兄弟喧嘩かよとツッコミまくりでした。その後、リアムは残されたメンバーでレコーディングを行い、完成したのが本作であるわけです。

    オアシスの楽曲の要はノエルであったことは間違いなく、リアムというと暴れん坊のイメージしか無かったので、ノエルがいなくなることでいったいどうなるのかと不安でしたが、なかなかどうして。オアシスという看板を離れることで、なんだか軽やかになった彼らがいます。その曲は驚くほど身体に心地よいものです。

    「ビートルズになりたい」ってどういうことだったのか。
    紆余曲折を経て、リアムが公言してきたことの意味がようやくわかったような気がします。

    気心の知れた4人が揃って、「せーの」でジャーンとやる。
    バンドという形態の醍醐味がそこにあるような気がします(くり返しますがぼくはバンドの経験がないので想像のはなしです)。今回のアルバムに収録された楽曲は、メンバー各自が曲を持ち寄り、セッションして出来上がったのだそうです。なんのことはない、音楽を楽しむという、いちばん基本的な「愉快さ」がここにはあるんです。オアシスらしさとか、マーケティングとか、そういったしがらみから離れて、ただやりたいことをやる。好きなことをやる。それは彼ら自身の身体が訴えるままに演奏した結果であり、だから、聴いている側のフィジカルに訴えてくる。

    オアシスにおいてはギャラガー兄弟の引き立て役であり、黒子であった、他のメンバーがここでは「バンド」として有機的に機能しています。リアムが(各自が曲を持ち寄るという)民主的な方法で作ったこのアルバムは、だから、バンドとしてのマジックが復活しているのだと、思いました。楽曲としての出来よりも、有機体としてのつながりを、その空気を共有する楽しさを教えてくれる彼らの曲は、ちょっと感動的ですらあります。(先日のユニコーンの記事でも、作品の質を落とすことで魅力が増す不思議について書いたばかり。さいきんそんなロックンロール回帰が増えている気がします)。

    ちなみにこれはインタビューもなにも読んでいない状態での、音源を聴いただけで感じたことから連想していったぼくの想像(というか妄想)ですので、本人たちの意図は違っているのかもしれません。リアムにしてみれば「は?なに言ってんだこのマスかき野郎が」といったところでしょうか。

    ユニコーンが示すもの(身体性と多様性=新しい公共?)

    • 2011.03.03 Thursday
    • 09:38
    ユニコーン再結成アルバム『シャンブル』を久しぶりに聴いて感動したので書いときます。いやー、いいねえ。かっこいいわ、このおっさんたち。(リリース当時のレビューはこちら)ユニコーンらしさ。ぼくは当時熱心なファンだったわけでないので、それが何を指すのかは、よくわかりません。再結成後の評判を聞くと、ユニコーンはやっぱりユニコーンだった、という声が多かったような気がします。

    B001P057Y8シャンブル
    ユニコーン
    キューンレコード
    2009-02-18


    昨年リリースされたアルバムの中で、くるりやアンダーワールドの新譜をぼくは愛聴しました。気がつくと、ついつい手が伸びて聴いていた。子どもが生まれてからCDを買う機会も減り、エキセントリックなものやストイックなものよりも、ベタなものを好むようになったことと関連します。で、それはなんでだろうなと考えた時に、ユニコーンのこのアルバムのことを思い出しました。感覚が似ているなあと思ったんです。

    ぼくがこれらの作品に惹かれた理由。それをわかりやすく言うと、「いい年したおっさんが好きなことやってる」ということ。ほぼそれに尽きます。いずれも一時代を築いてきたバンドです。であるから、ファンが望むような「らしさ」であるとか、マーケットを拓いていく戦略であるとか、あるいは時代をつくっていく革新性であるとか、外から求められる「見えない縛り」があるはずです。たいていは、それに合わせて、もしくはそのプレッシャーに潰されてつまらない作品をつくってしまうことが多い。ところが、彼らはそういった外からの声には全くおかまいなしだったんです。ユニコーンも、くるりも、アンダーワールドも、その新譜はダサかった。目新しいことも革新性も無かったし、時代をつくっていくようなわくわく感も無かった。でも、とっても気持ちよかった。過剰に自分「らしさ」に縛られることもなく。彼ら自身が好きなことをやっているということが伝わったから。だから、ダサかっこよかった。

    話とびますが、受験生の動向やニーズに大学側が合わせるというおかしな風潮という対談の流れで、内田樹さんがこう言っています。

    仕事なんて、自分で作るもんじゃない?マーケットがあって、それにどういうニーズがあるのかって探すんじゃなくてさ、「俺はこれがやりたい!」って言ってると、「もっとやって」って言うひとが出てきてさ。「じゃあちょっとお鳥目ちょうだいよ」「うん、払うよ」ってなって、続くってもんでさ。

    SIGHT 2011WINTER号 内田樹×高橋源一郎対談より


    内田さんも高橋さんも、世間をなめてた度合いからいうとすごいのだと。そんなことやってると絶対食えないぞ、と何度も言われたのだとか。でも、なんとかならあと思ってたそうで。「世の中甘くない」けども、でも「結構甘いぞ」っていうのも。

    で、ユニコーンの話に戻りますが。おれたち、これが好きなんだからしょうがないよね、というある種の開き直りというか、自然体ですよね。メッセージを伝えたいとか、ファンの期待に応えたいとか、そういうんじゃなく。ただやりたいから、やってる。それって、自分のまるごとを引き受けていくと覚悟した人にしか得られない達観だと思うんです。そういう人たちが鳴らす音っていうのは、フィジカルに訴えてくる。

    そう、キーワードは身体性。けっきょく自分の身のほどの届く範囲のことしか、ぼくたちは語れないんですよね。たとえ語ったとしても、それは想像でしかない、ということを踏まえた上でないと語れない。(このことはまたべつの機会にじっくり考えたいです。)達観したおっさんは、大きなことを語らない。ただ自分の身の回りを誠実に(愉快に)生きる。それが成熟した大人のすがただと、ぼくはさいきん思います。そういうおっさんにぼくもなりたい、と。まるで、悪ガキたちがそのまま大人になって、相変わらずバカやってるようなユニコーンのメンバーを見ると、こっちまで嬉しくなる。


    で、そういったユニコーンの資質っていうのは主に阿部Bと民生によるところが大きいように感じます。特典のDVDに収録されているレコーディング風景の映像を見ると、なおさら。上に書いたような「おっさん」を体現しているのは、この二人(川西さんも入れてもいいかもしれない)。でも、やっぱりそれだけではユニコーンにはならないんです。ここがこのバンドのすごいところ。

    あの、EBIさんの曲がぼくは好きではありません。おっさんになり切れない、少年のような蒼さが。アルバム聴いてても、何度かとばしちゃう。DVDの中で奥田民生は「EBIのあの暗い曲さぁ」と軽くdisってます。でも、ちゃんとアルバムに入ってるんです。5人全員の曲が、入ってるんです。作品としてのクオリティとかトータルイメージとかを考えたら、おそらくそうはしないでしょう。だって、単純に楽曲の出来でいえば民生のソロのほうがいいだろうし。つまりマーケティング的な要素ではない。等価交換の市場経済の論理から逸脱している。ところが、5者5様のバラバラな楽曲を入れることで、クオリティを落とすことで、魅力を増すという不思議なことが起こる。

    これ、とっても大事なことを指し示しているように思います。すなわち、多様性を内包する共同体。多種多様な人たちが暮らす、ぼくたちのまわりのロールモデルなんじゃないかと。民生はEBIの曲をdisりながらも、受け入れるんです。これが、大人です。価値観が異なる人とも、しょうがないなあと、付き合っていくしかない。そうしてそれは、課せられた重い苦役でもない。さらりと受け流したり、楽しんだり、それでいい。だって彼らの基本は「いい年したおっさんが好きなことやってる」なんだから。

    労働が苦役であり、その苦労の対価として報酬を得る、という概念しか存在しなかったなら、おそらく人は多様性に対して寛容になれないでしょう。おれはこんなにがんばっているのに、なんでおれだけ、と他人を羨んだり、がんばってない人を糾弾したくなる。いま世間に瀰漫しているイライラはそういったものだと思います。だからまず「やりたい」が先にあること。自分がやりたいことをやっていれば、他人のことなんかどうでもよくなる。どうでもよくなる、っていうと言葉が悪いかもしれませんが、それがつまり寛容ということじゃないかと思うんです。過度の介入はせず、かといって無視するでもなく。

    多様性を内包する共同体。ぼくはこの言葉から「新しい公共」という概念を連想します。ひとりひとりの「私」が「公」を担っていくという考え方ですが、それは決して滅私奉公的なマインドではありません。「やらなければいけない」苦役のようなものが「公」というわけじゃない。むしろ、ひとりひとりが「やりたい」ことをやることで、自然発生的につながりが生まれ、共同体をつくっていく。だから、そのカタチは、このユニコーンのDVDのように、テキトーでゆるやかな、ダラダラっとした感じでぜんぜんいいと思います。ぼくはそういうほうが好きだな。

    KIMONOS / KIMONOS

    • 2011.02.10 Thursday
    • 13:42
    CDを買う機会も数年前に比べるとめっきり減ってしまいましたが、マソ山さん主催のecrnアワードに参加して2010年のベストを選んでみました。

    2010年のマイベストは「KIMONOS」なるバンドのデビュー盤。くるりの「さよならアメリカ」や、Cocco「ニライカナイ」もすばらしかったですし、Underworldのアルバムもミーハー的に大好きですが、アルバム全体としてぼくの肌にフィットしたという点で、この作品に軍配を上げました。

    B0042UJWEEKimonos
    KIMONOS
    EMIミュージックジャパン
    2010-11-17

    by G-Tools

    試聴 試聴

    さて、このバンド実は、ZAZEN BOYSの向井秀徳とLEO今井によるユニット。『ZAZEN BOYS4』で見せた打込みシンセサウンドを昇華させたかのような感触は、ドラムマシーンとシンセの音色が80年代を感じさせる「ダサかっこよい」もの。これは2010年の肉体を持って鳴らされたYMOか?と思いきや「Sports Men」のカバーもあり。根っこがロック少年であるぼくにとって、このおセンチな感じは理屈ぬきに堪らないのです。

    うーん、あとは特に書くことがないですが、今年は「ダサかっこいい」というのがぼくにとって音楽のキーワードだったような気がします。5〜6年くらいかけてぼくの音楽的嗜好はあっち行ったりこっち行ったりしました。テクノやハウス、ソウル、ブラジル、音響系、ジャズ、…めぐりめぐったけれども、根っこはやっぱりロックなんだと気づきました。子どもができてから自然にそっちに回帰してきた。やっぱり子どもがいるとムーディーマン聴きたいとか思わないですね。好きだけど。

    こっこちゃんとしげるくん「SING A SONG」

    • 2010.12.21 Tuesday
    • 09:57
    年末になると一年をふり返りたくなります。ぼくは、好きな音楽で。
    アンダーワールドやキース・ジャレットのアルバムもよかったですが、今年はめずらしく曲単位で、とても印象に残った曲が2つありました。

    Cocco「ニライカナイ」 →感想はこちら
    くるり「さよならアメリカ」 →感想はこちら

    日本とアメリカという関係をバックグラウンドに育ってきたぼくらの世代。音楽の世界においても、アメリカという国はぼくらの前に大きくそびえる存在でした。しかし、まるで空気のように存在していたその関係についての理由が根元から揺らぎ始めたのが2010年でした。政権交代という出来事や、その後のごたごたを通して、ぼくらはいままで見えなかったことが見えはじめ、いままで考えなかったことを考えはじめました。

    そんな今年を象徴するような2曲。
    興味を持たれた方はそれぞれのリンク先をご覧ください。

    ところで、この二人が組んだバンドがあったなあと昨晩思い出し、押入からひっぱり出して聴いてみました。Coccoと岸田繁(くるり)によるスペシャル・ユニット「Singer Songer」がにタワーレコード限定でリリースした『SING A SONG 〜NO MUSIC, NO LOVE LIFE〜』。タワーレコード25周年記念テーマソングとなったこの曲は、96年Cocco幻のインディーズ盤に収録されていた曲のリメイクなんだそうです。



    2004年。ドライブしながら、妻(当時は彼女ですね)に聴かせてもらったこの曲。しげるくんのフィドルがほのぼのとして朗らかな音色を奏でる、優しくてほっとするうた。そうしていたら、フロントガラスの向こうの雨上がりの空に、絵に描いたような虹を見ました。眼前に拡がる七色のゲートに向かって車を走らせながら、ぼくは、今ここにいる幸せを感じました。…というようなことを当時のブログに書いていたことを、いま読み返しました。

    最初に挙げた2曲はわりとシリアスな曲ですが、この曲は純粋に音楽のたのしさが伝わるたのしくてしあわせな曲です。ぼくは音楽がとても好きです(オタクといっていいかもしれない)。音楽はいつでも傍にありました。音楽は、その曲を聴いていたときの映像を、空気をフラッシュバックさせてくれます。音楽はいつでも傍にあります。それは、音楽がたのしいものだからです。

    今年は子どもと遊ぶことが多くなったせいか、例年に比べてCDの購入枚数が激減し、趣味でやっていた音楽ブログもすっかり停滞してしまいました。「子育て>音楽」になったから。でもそれはストレスではないんです。子どもと遊ぶことが、いまは何よりも楽しいから。新譜をがしがしと漁るような聴きかたは無くなりましたが、旧譜を中心にした音楽はいまも生活のなかにあります。その基本はやっぱり音楽はたのしいものだからです。音楽がたのしく、いつも傍にあるために、ときにはシリアスな面も必要になります(それが最初に挙げた2曲です)。シリアスであることが目的なのではなく、あくまで過程であり、着地点はやっぱりあくまでも、たのしいこと。

    いつか子どもが夫婦の手をはなれたときには、また趣味の世界をのんびりとたのしみたいと思っています。そのときには例の音楽ブログも再開しましょう。何年後かはわかりませんが。それでいい。だって音楽はいつもそばにあるんだから。そう思います。



    あ、ちなみにマソ山さん主催の年間ベストecrn award 2010に参加してます。

    くるり「さよならアメリカ」

    • 2010.12.10 Friday
    • 10:42
    今年リリースされたくるりの新譜。
    40秒の「無題」が1曲目だけど、ほぼアルバムの冒頭を飾るといっていいのが2曲目「さよならアメリカ」。

    くるりのことは、好きな曲もあるし、なんとなく気になる存在ではあるけれども、アルバムを通して聴くほどのファンでもありませんでした。しかし、2010年のこのタイミングで、このタイトル。さらに、歌詞の出だしを知ったとき、これは聴かねば!と思いました。

    ろくでなしアメリカの 手のひらで泳ぎつかれたよ
    干上がった生命線 ここはきれいな河でした

    たくさんの置きみやげ ぼくらは使って暮らしていますよ
    でもこれで十分よ 時代は変わり巡り巡る

    さよならアメリカ さよなら さよなら
    日の本 ここだよ さよなら


    歌詞全文はこちら


    2009年に起こった政権交代という事件やその後の動乱、フリージャーナリストによる情報、またツイッターなどを通して、ぼくが知ってしまったことのほぼすべてがここに集約されているように感じました。

    なぜ、鳩山さんは沖縄問題でブレたのか。なぜ、小沢一郎は政治とカネの問題で追及されているのか。なぜ、検察審査会はあれほど不透明なのか。なぜ、尖閣問題が大騒ぎになったのか。なぜ、クロスオーナーシップの禁止を提言した原口さんは更迭されたのか。なぜ、代表選の時にあれほど言われた挙党一致という言葉が無視されているのか。なぜ記者会見のオープン化が頓挫しているのか。なぜ、政権交代時に国民が選挙で選んだ民主党と180度方向転換した現政権が仮にも議会制民主主義を標榜する日本という国で政権存続できるのか。そして、なぜ、これらのほぼすべてをマスメディアは検証して報じないのか。なぜ、ウィキリークスを黙殺するのか。

    対米従属、あるいは対米隷属という言葉があります。
    日本はアメリカの52番目の州、アメリカの植民地と言われることもあります。常にアメリカの顔色を伺い、「抑止力」を提供してもらうかわりに財源を提供する。アメリカの了承無しに、自分の意見などを言ったことなどない。アメリカの意に沿うことを明確に宣言した小泉純一郎氏は、アメリカから好意的に受け入れられました。あたりまえです。基本的に対米従属路線だった自民党から、民主党に政権が交代し、アメリカの了承も無しに何を言い出すかわからない「宇宙人」鳩山由紀夫氏が首相に就いた時、アメリカは警戒しました。あたりまえです。鳩山さんはそれまでタブーとされてきた沖縄という蓋を開けようとしました。宇宙人ですから。ところが、蓋の中は想像していた以上に腐乱が進み、臭かった。一緒に開けてくれると思っていた仲間も逃げ出してしまったようです。独りでどうにもならなくなった鳩山さんは開けかけた蓋をもう一度閉めてしまいました。蓋の中には「抑止力」があった、という言葉をのこして。

    菅直人氏が首相に就いてから、民主党はあきらかにおかしくなりました。会見のオープン化を後退させ、財務省主導の事業仕分けでお茶を濁し、沖縄知事選では県外移設を訴える候補者への支援を禁じました。武器輸出3原則の見直しを言い出したり(ウィキリークスは、アメリカからの圧力があったことを暴露しています)。どうやら官僚やマスコミ、財界といったエスタブリッシュメントとすっかり仲良しになってしまった菅政権は、不思議なことにアメリカの意向と一致した方向ばかりを指向しています。かつての自民党以上にべったりと。ジャーナリストの岩上安身さんは、日本の首相は中間管理職で、親会社は米国と言っています。言い得て妙です。(いまの日本を考える上でとても重要な案件ですので、またじっくりと吟味したい問題です。)

    知ることとは、信じることと同じだと思います。日本政府が対米従属だなんて、日本のマスコミでは報じられない(マスコミ自身が対米従属なんだからあたりまえです)。ぼくは、真実を知ったわけではなく、マスコミや雑誌、書籍、インターネットでの情報を見比べた上で、そう考えたほうがいろいろなことが腑に落ちると思うから、そう信じているにすぎません。


    そこで、くるりのこの曲。
    ぜんぶ言ってるじゃないですか。びっくりしました。

    菅政権は、生き残る道はこれしかないと思ったのかもしれませんが、ぼくはもう、しっぽをふってわんわんとすり寄っていくのはごめんです。自分の足で立たないと。それは決して「反米」ではありません。アンチ・アメリカになろう、アメリカ大嫌い、というわけじゃない。だって、たくさんの置きみやげを使って暮らしているんだから。「夢と自由の国アメリカ」に憧れていたあの気持ちは嘘じゃないんだから。愛着はきっと今でもあるんだから。

    今までありがとう。ぼくたちは卒業します。

    永遠にさようならするわけじゃありません。これからも付き合っていこうと思うからこそ、互いの関係を常に見つめ直すことは必要だと思うんです。そこからが大人同士の付き合いのはじまりではないでしょうか。
    それが、「さよならアメリカ」の意味だと、ぼくは思います。



    「さよならアメリカ」収録の9thアルバムはこちら。
    下記リンクより試聴も可能です。

    B0035NO73U言葉にならない、笑顔をみせてくれよ
    くるり
    ビクターエンタテインメント
    2010-09-08

    by G-Tools

    ジョン・レノン「Imagine」

    • 2010.12.09 Thursday
    • 13:07
    本日12月8日は、ジョン・レノンの命日だそうです。
    享年40歳。

    クーリエ・ジャポンTwitterより

    今日の「ニューヨーク・タイムズ」にオノ・ヨーコさんが寄稿。「私たちがジョンから受け取った最大の贈り物は、彼の言葉ではなく彼の行動だ。真理を信じていた彼は遠慮なく声をあげた。それが権力を持つ一部の人々を苛立たせていたことはわかっていた。でも、あれがジョンなのだ。ああいう風でしかありえなかった。いま彼がここにいたら昔と同じように真実を叫び続けていると思う。真実なしには世界平和を実現する道はない。」



    彼がうたった『イマジン』という曲は、とてもシンプル。

    「想像してごらん…」

    たったこれだけのメッセージ。
    たったこれだけなのに、911テロ事件後にアメリカではこの曲が放送自粛されたそうです。ジョン・レノンは夢想家だったのでしょうか。それとも「想像してごらん…」こそが真実だったのでしょうか。なぜこの曲が放送自粛される必要があったのでしょうか。


    半年前にこのブログに書いた短い日記を再録します。

    --------
    想像力しだいでどこへでも行ける。
    「世界を救う」のもまたぼくたちの想像力かもしれない。

    なんだか小学生みたいな発言ですが、その思いが強くなっています。
    息子には、想像力の豊かな子になって欲しいと思います。
    社会には、想像力の豊かな子が行き交う社会になることを願います。
    ぼくは、そのために、いろいろと想像することにします。
    --------

    これはたしか、高橋源一郎さんの『悪と戦う』を読んだあとに書いたものだったと記憶します。そう、この本を読んだあと胸に去来したのは、子どもの無垢な想像力が紡ぎ出す世界。その多重世界は、現実的ではなかったかもしれない。それでも、それは抱きしめたくなるほど大切ななにか、のような気がしたのです。


    古代ギリシアの民主制では、人は平等だということは誰も信じなかった。
    地球が太陽のまわりを回っているなんて、誰も信じなかった。
    ライト兄弟が空を飛ぶなんて、誰も信じなかった。
    AppleがiPhoneで世界をつなぐなんて、たった10年まえには誰も信じなかった。

    せかいを創造してきたのは、想像力です。
    それはきっとこれからもそうだと思います。


    12月8日は、太平洋戦争の開戦日でもあります。
    戦争の記憶は世代を経てどんどんうすれていきます。伝え聞くことを止めたならば、その時点で想像すらもできなくなる。ぼくたちは、ぼくは、知らないことがたくさんある。いつも、いかなるときも、想像することだけは忘れないようにしたいと思います。





    参考:ジョンレノンとジュリアン・アサンジ - 坂の上の太陽

    R.E.M. / Around the Sun

    • 2009.04.22 Wednesday
    • 12:45
    試聴 試聴

    前作『Reveal』での開放感に比べると、このアルバムは暗く重い。今だから断言できるが、間違い無く影響を与えているのは前作のリリース後に起こった”9.11”。未曾有の大事件の後、混迷を極めるアメリカの姿を反映するような作品になった。

    リリースは2004年、大統領選イヤーである。彼らは政治色の強いバンドとしても人気であり、1988年の『GREEN』は大統領選挙日と同日に発売され「Two Things To Do November 8(11月8日にすべきふたつのこと──アルバム購入と選挙に行こう)」という宣伝文句を謳ったりしている。本作がリリースされる前年の2003年、ブッシュ政権は半ば強引にイラク戦争へと突き進んだ。これには国内から反対の声も多く、R.E.M.はエミネムやマイケル・ムーアらと並び反ブッシュを掲げ、民主党への投票を訴えた。

    ただしこのアルバム自体は、マイケル・ムーアの作品のような直接的にブッシュ政権への怒りに満ちたアグレッシブな作品では無い。このアルバムから感じられるのは、圧倒的なまでの”哀しみ”だ。冒頭から、ちょっと切なくなる程につらく哀しい曲調が続く。ここでの彼らのまなざしは、政権そのものよりも現場の方を向いている。無謀な政策のツケを払わされるのは一般市民なのだ。戦争をけしかけるのは机の上の官僚で、実際に心の傷を負うのは現場の兵士なのだ。この捩じれた社会の中で生きる”哀しみ”がひしひしと伝わってくる。
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    R.E.M. / Reveal

    • 2009.04.21 Tuesday
    • 15:14
    マイケル・スタイプ,ピーター・バック,マイク・ミルズ
    ワーナーミュージック・ジャパン
    (2001-05-09)

    試聴

    Automatic for the People』があまりにも傑作すぎたため、他の作品(彼らのディスコグラフィ)を把握しきれていない。このアルバムは『UP』の次にリリースされたやつかな。ジャケットも地味だし、最初のちょこっと聴いた印象が地味だったのでほとんど聴いてなかった。”あ、こんなアルバムもあったっけ”と手にして改めて聴き直してみたら驚いた。すごくしっくりきた。

    ちょっと話が変わりますが、我が山形は温泉天国で、身体の疲れた日なんかはよく近所の日帰り温泉に寄ったりします。温泉好きな人なら共感して頂けると思いますが、湯船に浸かった瞬間に思わず「あ゛〜〜〜」という声が漏れる感覚ってわかります? 家のお風呂やスーパー銭湯の沸かし湯とは明らかに違う、身体の中に沁み込んでくる感じ。温泉成分なのか湯温の熱さなのかわかりませんが、身体の細胞の一つ一つが温泉から滋味を吸収していくような感覚が堪らなく気持ちよいのです。

    で、僕にとってR.E.M.の魅力というのはまさにそういうクオリアにあるんです。癒し系といえばまあそうですが、そこから生命の活力も感じる事が出来る。なんかもう、マイケル・スタイプのボーカル自体からアルファ波が出ているんじゃないかと。
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