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    ユニコーンが示すもの(身体性と多様性=新しい公共?)

    • 2011.03.03 Thursday
    • 09:38
    ユニコーン再結成アルバム『シャンブル』を久しぶりに聴いて感動したので書いときます。いやー、いいねえ。かっこいいわ、このおっさんたち。(リリース当時のレビューはこちら)ユニコーンらしさ。ぼくは当時熱心なファンだったわけでないので、それが何を指すのかは、よくわかりません。再結成後の評判を聞くと、ユニコーンはやっぱりユニコーンだった、という声が多かったような気がします。

    B001P057Y8シャンブル
    ユニコーン
    キューンレコード
    2009-02-18


    昨年リリースされたアルバムの中で、くるりやアンダーワールドの新譜をぼくは愛聴しました。気がつくと、ついつい手が伸びて聴いていた。子どもが生まれてからCDを買う機会も減り、エキセントリックなものやストイックなものよりも、ベタなものを好むようになったことと関連します。で、それはなんでだろうなと考えた時に、ユニコーンのこのアルバムのことを思い出しました。感覚が似ているなあと思ったんです。

    ぼくがこれらの作品に惹かれた理由。それをわかりやすく言うと、「いい年したおっさんが好きなことやってる」ということ。ほぼそれに尽きます。いずれも一時代を築いてきたバンドです。であるから、ファンが望むような「らしさ」であるとか、マーケットを拓いていく戦略であるとか、あるいは時代をつくっていく革新性であるとか、外から求められる「見えない縛り」があるはずです。たいていは、それに合わせて、もしくはそのプレッシャーに潰されてつまらない作品をつくってしまうことが多い。ところが、彼らはそういった外からの声には全くおかまいなしだったんです。ユニコーンも、くるりも、アンダーワールドも、その新譜はダサかった。目新しいことも革新性も無かったし、時代をつくっていくようなわくわく感も無かった。でも、とっても気持ちよかった。過剰に自分「らしさ」に縛られることもなく。彼ら自身が好きなことをやっているということが伝わったから。だから、ダサかっこよかった。

    話とびますが、受験生の動向やニーズに大学側が合わせるというおかしな風潮という対談の流れで、内田樹さんがこう言っています。

    仕事なんて、自分で作るもんじゃない?マーケットがあって、それにどういうニーズがあるのかって探すんじゃなくてさ、「俺はこれがやりたい!」って言ってると、「もっとやって」って言うひとが出てきてさ。「じゃあちょっとお鳥目ちょうだいよ」「うん、払うよ」ってなって、続くってもんでさ。

    SIGHT 2011WINTER号 内田樹×高橋源一郎対談より


    内田さんも高橋さんも、世間をなめてた度合いからいうとすごいのだと。そんなことやってると絶対食えないぞ、と何度も言われたのだとか。でも、なんとかならあと思ってたそうで。「世の中甘くない」けども、でも「結構甘いぞ」っていうのも。

    で、ユニコーンの話に戻りますが。おれたち、これが好きなんだからしょうがないよね、というある種の開き直りというか、自然体ですよね。メッセージを伝えたいとか、ファンの期待に応えたいとか、そういうんじゃなく。ただやりたいから、やってる。それって、自分のまるごとを引き受けていくと覚悟した人にしか得られない達観だと思うんです。そういう人たちが鳴らす音っていうのは、フィジカルに訴えてくる。

    そう、キーワードは身体性。けっきょく自分の身のほどの届く範囲のことしか、ぼくたちは語れないんですよね。たとえ語ったとしても、それは想像でしかない、ということを踏まえた上でないと語れない。(このことはまたべつの機会にじっくり考えたいです。)達観したおっさんは、大きなことを語らない。ただ自分の身の回りを誠実に(愉快に)生きる。それが成熟した大人のすがただと、ぼくはさいきん思います。そういうおっさんにぼくもなりたい、と。まるで、悪ガキたちがそのまま大人になって、相変わらずバカやってるようなユニコーンのメンバーを見ると、こっちまで嬉しくなる。


    で、そういったユニコーンの資質っていうのは主に阿部Bと民生によるところが大きいように感じます。特典のDVDに収録されているレコーディング風景の映像を見ると、なおさら。上に書いたような「おっさん」を体現しているのは、この二人(川西さんも入れてもいいかもしれない)。でも、やっぱりそれだけではユニコーンにはならないんです。ここがこのバンドのすごいところ。

    あの、EBIさんの曲がぼくは好きではありません。おっさんになり切れない、少年のような蒼さが。アルバム聴いてても、何度かとばしちゃう。DVDの中で奥田民生は「EBIのあの暗い曲さぁ」と軽くdisってます。でも、ちゃんとアルバムに入ってるんです。5人全員の曲が、入ってるんです。作品としてのクオリティとかトータルイメージとかを考えたら、おそらくそうはしないでしょう。だって、単純に楽曲の出来でいえば民生のソロのほうがいいだろうし。つまりマーケティング的な要素ではない。等価交換の市場経済の論理から逸脱している。ところが、5者5様のバラバラな楽曲を入れることで、クオリティを落とすことで、魅力を増すという不思議なことが起こる。

    これ、とっても大事なことを指し示しているように思います。すなわち、多様性を内包する共同体。多種多様な人たちが暮らす、ぼくたちのまわりのロールモデルなんじゃないかと。民生はEBIの曲をdisりながらも、受け入れるんです。これが、大人です。価値観が異なる人とも、しょうがないなあと、付き合っていくしかない。そうしてそれは、課せられた重い苦役でもない。さらりと受け流したり、楽しんだり、それでいい。だって彼らの基本は「いい年したおっさんが好きなことやってる」なんだから。

    労働が苦役であり、その苦労の対価として報酬を得る、という概念しか存在しなかったなら、おそらく人は多様性に対して寛容になれないでしょう。おれはこんなにがんばっているのに、なんでおれだけ、と他人を羨んだり、がんばってない人を糾弾したくなる。いま世間に瀰漫しているイライラはそういったものだと思います。だからまず「やりたい」が先にあること。自分がやりたいことをやっていれば、他人のことなんかどうでもよくなる。どうでもよくなる、っていうと言葉が悪いかもしれませんが、それがつまり寛容ということじゃないかと思うんです。過度の介入はせず、かといって無視するでもなく。

    多様性を内包する共同体。ぼくはこの言葉から「新しい公共」という概念を連想します。ひとりひとりの「私」が「公」を担っていくという考え方ですが、それは決して滅私奉公的なマインドではありません。「やらなければいけない」苦役のようなものが「公」というわけじゃない。むしろ、ひとりひとりが「やりたい」ことをやることで、自然発生的につながりが生まれ、共同体をつくっていく。だから、そのカタチは、このユニコーンのDVDのように、テキトーでゆるやかな、ダラダラっとした感じでぜんぜんいいと思います。ぼくはそういうほうが好きだな。

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